
国府・〈閃き堂〉にて開かれた、10名限定のライブに参加。エントランスにある小さな円形の空間に満たされた一期一会な音に浸る。

その味わい方で言えば、音楽と絵は近いのかもしれない。具象が音階やリズムのある音楽だとすれば、抽象はそれから離れた音楽であろう。かたちづくる制約が無くなれば無くなるほど自由度は高くなり、感受は聞く人に委ねられる。楽器も楽器でないものも場にあるモノの音を使って、即興的に行われる松本さんの音の世界は永遠であり一瞬であった。フレームドラムが震えれば全身の細胞が共振し、銅鑼を擦る音が知るはずのない宇宙の果てに魂を連れ去る。

だがこの感覚は極めて個人的なものであると言えるだろう。あらゆる制約から逃れた、音楽というものが成立する辺境のような場所で、受動体としてまたすべてを掌握するコンダクターとして彼が奏でる音の中にいると、一瞬ごく小間のお茶室にいるような感覚にとらわれる。

ライブ後、坂本龍一さんが生前「客人を一期一会の茶でもてなす亭主のように音楽を作りたい」と語っていた話を松本さんに話すと、晩年の病室で坂本さんが聞いていたのは彼の音源だったと聞き、なんだか腑に落ちる。削ぎ落とされた先にこそ、すべてがある。いまという時間が重なりゆく人生の、向かう先はどこにあるのか、そんなことをぼんやり考えていた。
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松本一哉/マツモトカズヤ
環境ごとにあるモノ・造形物・自然物・身体・装置など、本来楽器では無いモノも用いて多様な音表現を行う。