あまりにささやかで、奇跡みたいなこと。
PROLOGUE
お話のはじまり「自分のあつらえを、手放さない」
そう静かに語る阪田美穂さんは、現在、岐阜県高山市を拠点に〈BLUE BIRD DESIGN〉を運営する一方で、家業である〈呉服 西さか田〉にも携わる経営者だ。ウェディングプランナーとしてスタートを切り、都市部でのキャリアを積んだのち、コロナ禍を機に故郷・飛騨へと戻った彼女の歩みは、一見すると自然でスムーズにも映る。だがその背景には、数え切れないほどの葛藤や模索、そして数々の「ささやかなターニングポイント」があった。「失敗を失敗と思わない」――そんな彼女の自然体な言葉には、不思議な軽やかさと芯の強さが共存していた。

MIHO SAKATA
阪田 美穂(BLUE BIRD DESIGN)
呉服店〈西さか田〉に生まれる。2003年〈白百合女子大学〉卒業。2005年より〈テイクアンドギヴ・ニーズ〉入社。都内のレストランウェディングを担当し、チーフプランナーや新店舗立ち上げなどを経験する。2021年、高山市に帰郷後〈BLUE BIRD DESIGN〉で結婚式プロデュースや花嫁着物専門店の運営を開始する。
「私が死ぬのはここじゃない」。

東京で長くキャリアを積み、神奈川・葉山に暮らしていた美穂さん。コロナ禍が広がった当時、県を超える移動が制限されたことで、彼女ははっきりとしてきた自分の思いに気づいた。
「私が死ぬのは、ここじゃない」。
そこからは迷いなくすぐに住まいを手放し、半年後には高山へのUターンを決めた。行動の速さについて「突破力には自信がある」と笑う彼女だが、帰郷してすぐは、それまで信じてきた価値観が崩れていく感覚を味わうことになった。
「東京的な成果主義やスピード感が身についていた私にとって、飛騨は『どうにもできないこと』の多い土地に見えたんです。最初は、それをどうにかしようと必死だったんですが、地域に暮らす人々との関わりの中で、自分の視野の狭さや未熟さに何度も気づかされました。」
そうした日々を経て、美穂さんの中に変化が生まれてきた。
「周囲には、自分にない得意を持つ人や知識のある人がたくさんいる、そこに気づいたんです。以降は、無理に"突破"しようとすることを手放すようになりました」。
最初の分岐点は、悔しさから。

帰郷してからの彼女の、大きな、得難い変化。そこに至るそのそものルーツを辿れば、主体的に彼女が働くことを始める大きな起点となったブライダル関連の会社、T&G(テイクアンドギヴ・ニーズ)への入社に行き着く。
それは、ある人からの何気ないひと言がきっかけだった。
「入社できないと思うけどこういう会社で働けるようになったら、君の人生変わるかもね」
上から目線にも聞こえたその言葉が、当時の彼女に火をつけた。
「絶対に見返してやる、って。ブライダル業界に興味はなかったし、実家の呉服屋にも当時はそこまで関心がなかったんです。でも、それが人生の大きな分岐点になりました」
ベンチャー企業として勢いがあったT&Gでの仕事は、大きな刺激に満ちていた。「毎日が本当に濃かったですね。目標を達成した人だけが表彰される世界で、私も『武道館で表彰されたい』という思いでがむしゃらに働いていました」。
地味で、長く残るものを。

高山に戻った後、ブライダル事業を自身で手がけるようになった彼女の根底には、「一瞬の華やかさではなく、時間をかけて記憶に残るものを」という思いが常にある。
「都会では、選択肢さえあればすぐに何かが成立する。けれど感動も冷めやすい。飛騨で暮らしていると、ふと目の前に広がる景色や、何気ない人とのやりとりが、かけがえのない瞬間になることに気づくんです」。だからこそ、彼女のつくる結婚式には「主客の境界をなくす」設計がある。「ゲストがただ観客になるのではなく、一緒に式をつくる感覚。ですから華やかな演出ではなく、地味でも自然と心が動く仕掛けを大切にしています」。
家族との向き合い方。

「小学生の子供が2人いますが、私の毎日は正直子供優先ではないです。私もやりたいことをやらせてもらっているので、子供たちにも自分が熱中することで生きていってほしいと思います」。
そう話す美穂さんは、仕事と育児を無理に両立させようとはしていない。「自分の人生を自分で選びたいというのは、わたしが幼少期からごく自然と持ち合わせていた感覚でもあります。だから子供たちにも、成績の良し悪しだけで評価される基準ではなく、自分で選んで、自立して生きていけるようになってほしい。そのために必要なサポートは全力でしていくつもりです」。
私はバカ。

現在は、実家〈呉服西さか田〉のリブランディングにも取り組みながら、飛騨春慶塗や呉服事業の発信にも力を入れている美穂さん。「私はこの業界は完全に素人です。でもだからこそ、知ろうとする姿勢を持ち続けられる。経営者でいられるのが“天才かバカか”だとしたら、私は大バカで前に進み続けるしかありません」。

EPILOGUE
お話を聞いて…「大きくしない」という選択。
「会社って、大きくしなきゃいけないと思われがちだけど、私はそうは思っていません。大切な故郷で、私と私のまわりが心地よく働けて、幸せに暮らせることのほうがずっと大事」。その一方で、次なる挑戦として「海外展開」も視野に入れているという。「飛騨のものは、もっと世界に届いていい。市場を広げるというより、世界と関わることで、関わる人や風景が変わることに意味があると思っています。」
美穂さんにとって「奇跡」は、特別なものではない。日常の中にある地味で、ていねいで、でも確かな仕掛けの先に、ふと顔をのぞかせる。その“ささやかで奇跡みたいなこと”を、今日も彼女は静かに編み続けている。
